お知らせ

2026/01/19

関連展示(宮崎・那覇)を更新しました。

2026/01/14

東京会場のチケットを販売開始しました。

2025/12/23

展示構成を公開しました。

2025/11/21

公式サイトがオープンしました。

会場を更新しました。

開催趣旨

昭和・平成の時代を通じて日本のプロ野球界をけん引し続けた長嶋茂雄は、「我が巨人軍は永久に不滅です」「メークドラマ」「勝つ!勝つ!勝つ!」などの名言とともに、数々の名場面を私たちの記憶に刻みました。野球を国民的スポーツとして根付かせたその功績は、スポーツの枠を超えて多くの人々に影響を与えました。


2025年6月3日、89年の生涯を閉じた長嶋。その偉大な足跡を振り返る展覧会を開催いたします。本展では、写真や映像、ゆかりの品々を通して長嶋茂雄の軌跡をたどります。また、数々の名言や各界との交流などを通じて、広く国民に愛された「ミスター」の人柄と魅力を紹介します。

関連展示(宮崎)

会期

2026年2月1日(日)~2月12日(木)

会場

ひなた宮崎県総合運動公園 ひなた武道館 副道場

〒889-2151 宮崎県宮崎市熊野2206-1

開場時間

9時~15時

  • ※2月12日(木)は12時閉場

共催

テレビ宮崎

後援

読売巨人軍宮崎協力会、宮崎日日新聞


  • ※入場無料
  • ※「長嶋茂雄 追悼展」と内容は異なります

関連展示(沖縄)

会期

2026年2月14日(土)~3月1日(日)

会場

パレットくもじ 4階特設会場

〒900-0015 沖縄県那覇市久茂地1-1-1

開場時間

10時~16時

  • ※3月1日(日)は12時閉場

共催

那覇市


  • ※入場無料
  • ※「長嶋茂雄 追悼展」と内容は異なります

関連展示(東京) ※終了しました

会期

2025年11月22日(土)~12月12日(金)

会場

よみうりギャラリー(東京・大手町 読売新聞ビル3階)

〒100-8055 東京都千代田区大手町1丁目7-1

開場時間

平日・土曜日の10時~17時(日曜・祝日は休館)

  • ※11月22日(土)は12時~17時

  • ※入場無料
  • ※「長嶋茂雄 追悼展」と内容は異なります

東京会場

会期

2026年3月18日(水)~3月30日(月)

会場

日本橋髙島屋S.C. 本館8階ホール

〒103-8265 東京都中央区日本橋2丁目4−1

入場時間

10時30分~19時(19時30分閉場)

  • ※3月30日(月)は17時30分まで(18時閉場)
  • ※会期・入場時間は変更になる場合があります。詳細は日本橋髙島屋S.C.のサイトをご覧ください

観覧料
(税込)

 

前売券

当日券

一般

1,000円

1,200円

高大生

800円

1,000円


  • ※中学生以下無料
  • ※「障がい者手帳・デジタル障がい者手帳」をご提示いただいたご本人様、ならびに同伴者1名様までは入場無料
  • ※日時指定制ではありません
  • ※安全のため、小学生以下のお子様は必ず保護者同伴でご入場ください
  • ※会場の混雑状況により、入場制限を行う場合があります
  • ※巡回先の詳細は決まり次第、当サイトでお知らせします

第1章 燃える男 スター誕生
~1958年)

明石キャンプで練習中の巨人軍・長嶋選手(1958年)

第1章
燃える男 スター誕生
~1958年)

佐倉第一高校、立教大学での東京六大学リーグ新記録となる8号本塁打などの活躍を経て、1958年に巨人軍に入団。一気にスターダムにのし上がっていく「背番号3」の姿を追います。

第2章 栄光の背番号3
1959~1974年)

天覧試合でのサヨナラ本塁打(1959年)

「巨人軍は永久に不滅です」の名言を残した引退セレモニー(1974年)

第2章
栄光の背番号3
1959~1974年)

天覧試合でのサヨナラ本塁打により、長嶋は国民的スターへ、野球は国民的スポーツへと押し上げられました。現役時代の17年間で巨人は13回のリーグ優勝と11回の日本一を記録。3番王貞治・4番長嶋の「ON砲」が野球人気に拍車をかけました。その偉業の数々を紹介します。


日本一連覇が9でストップした1974年、長嶋は「我が巨人軍は永久に不滅です」の名言を残して引退。翌年、38歳の若さで巨人軍監督に就任しました。

第3章 屈辱を土台に
1975~1980年)

V2を達成し、無観客の後楽園球場で長嶋監督を胴上げする巨人ナイン(1977年)

第3章
屈辱を土台に
1975~1980年)

背番号「90」の監督初年度は球団史上初の最下位に終わったものの、翌1976年にはリーグ優勝を達成します。1979年からは「地獄の伊東キャンプ」で若手選手を鍛え上げましたが、1980年に3年連続で優勝を逃した責任をとり、監督を辞任しました。監督としての長嶋の苦闘と歓喜を振り返ります。

第4章 充電の旅
1981~1992年)

解体目前の後楽園球場で名残を惜しむ長嶋(1987年)

巨人入団が決まり、対談する長嶋監督と松井選手(1992年)

第4章
充電の旅
1981~1992年)

監督引退後の12年間を長嶋本人は「野球界に復帰するための勉強と充電生活だった」と語っています。エチオピアの難民キャンプ訪問や五輪取材など、野球以外の活動に精力的に取り組みました。


1992年秋に監督復帰が決まり、松井秀喜をドラフト1位で獲得。以後、長く続く師弟関係がスタートしました。

第5章 燦燦と輝く
1993~2001年)

リーグ優勝を決め、巨人ナインに胴上げされる長嶋監督(1994年)

宮崎キャンプでグラウンドコートを脱ぎ、背番号3を披露する長嶋監督(2000年)

第5章
燦燦と輝く
1993~2001年)

1993年に背番号を現役時代の「3」を2つ重ねた「33」に変更。1994年、中日ドラゴンズとの「10.8決戦」では「勝つ!勝つ!勝つ!」とチームを鼓舞してリーグ優勝を決め、日本一にも輝きました。1996年には11.5ゲーム差を逆転する「メークドラマ」を実現。2000年には26年ぶりに背番号を「3」に戻し、ダイエーホークスの監督になっていた盟友・王貞治とのON対決を制して二度目の日本一に。2001年に二度目の退任をするまでの燦然と輝く監督としての功績を称えます。

第6章 "ミスター"を全うする
~2025年)

「長嶋茂雄DAY」の特別試合に登場した松井秀喜、長嶋、阿部慎之助監督(2024年)

第6章
"ミスター"を全うする
~2025年)

2002年に野球日本代表監督に就任し、2003年にアテネ五輪出場が決定しましたが、五輪直前の2004年、脳梗塞で倒れ五輪で指揮を執ることはできませんでした。その後は、不屈の精神でリハビリの日々を過ごします。


2013年に愛弟子・松井秀喜とともに王に次いでプロ野球選手としては2人目となる国民栄誉賞を受賞。21年には東京五輪開会式で聖火ランナーも務めました。同年、野球界で初となる文化勲章を受章しました。


病身ながらたびたびグラウンドを訪れ、後輩たちを激励し続けた長嶋。いつまでも野球と巨人軍を愛する「ミスター」の姿は変わることがありませんでした。

図録・グッズ

Coming Soon…

主催

読売新聞社、読売巨人軍、日本テレビ放送網、報知新聞社

協力

読売中京FSホールディングス

特別協賛

セコム株式会社

協賛

光村印刷

企画協力

日本テレビサービス